囲碁にまつわる言葉(こ)
2024/1/29
「本因坊秀策囲碁記念館」
K(耳赤の一手)で紹介した本因坊秀策は、文政12年に今の尾道市因島外浦町に生まれた。
幼名を寅次郎といい、幼くして才能を開花させ、人々は神童と称した。9歳で江戸に赴き、本因坊丈和の弟子になった。11歳で初段、15歳で4段、ここで名を秀策と改めた。
18歳の時、大阪で井上幻庵因碩と対局し、このとき打たれたのが「耳赤の一手」「耳赤の妙手」として今に伝えられている。そして、20歳で本因坊家の跡目になり、丈和の娘花と結婚した。
21歳で御城碁に初出仕した。以来、御城碁では12年間で19連勝し、負けることはなかった。残念ながら、34歳という若さで他界した。
因島では、囲碁の島「因島」として、囲碁を市技と制定した。後、尾道市と合併後も市技の制定は継承された。そして、本因坊秀策囲碁記念館を建設し、様々な展示をし、囲碁を中心に据えたイベントを開催している。