囲碁にまつわる言葉(せ)
2024/6/27

「国性爺合戦」
近松門左衛門の「国性爺合戦」でも、囲碁の対局の様子を描いている。国性爺が戦で次々と敵を平定していく過程を、碁の勝負になぞらえているものである。二人の老翁(実は、大明の先祖高皇帝とその臣劉伯温)が、呉三桂に戦の様子をパノラマのように見せるという趣向を凝らしている。
龐眉白髪の老翁二人石上に碁盤を据ゑ。黒白二つの石の数三百六十一目に。離々たる馬目
連々たる雁行。脇目もふらぬ碁の勝負。心は蜘蛛の、空にかかれる糸に似て、身は空蝉の枯枝となり。浮世を離れし手談の伎。
一角に九十目、四方に四季の九十日合わせて三百六十目。一目に一日を送ると知らぬ愚かさよ。面白し面白し。天地一体の楽しみに二人向ふは何事ぞ。陰陽二つあらざれば万物調ふ事なし。勝負はさていかに。人間の吉凶は時の運にあらずや。さて白黒は、夜昼、手談はいかに。軍(いくさ)の法、切つて押へて跳ねかけ切つて押へて跳ねかて、軍は花の乱れ碁や。飛びかふ烏、群れゐる鷺と譬へしも。白き黒きに夜昼も分かで昔の斧の柄も、おのづからとや朽ちぬべし。
「今日本より国性爺といふ勇将渡って、大明の味方となり、只今軍(いくさ)の真最中。是よりその間遙かなれども、一心の碁情眼力にありありと。合戦のありさま目前に見すべし。」と。宣ふ声も山風も碁石の。音にぞ響きける。
謡い手の名調子に乗って、人形が表情豊かに操られる浄瑠璃。当時は、囲碁やそれにまつわる故事・来歴が広く庶民に広まっていただろうから、近松門左衛門の描く世界を豊かに思い描くことができたことだろう。国性爺合戦は、竹本座で初演から17か月のロングランを記録したそうだ。