囲碁にまつわる言葉(つ)
「枕草子」その2
161段「故殿の御服のころ」からの一部抜粋
人と物言う事を碁になして、近う語らいなどしつるをば、「手ゆるしてけり」「結(けち)さしつ」など言ひ、「男は手受けむ」など言ふことを、人はえ知らず。
会話をするとき、碁に例えて、親しく言い交わしたなどしたのを、「手出しを許してしまった」「いよいよ深い間柄に進む」「女のほうが上手なので、男が一目置いて相手をする」などと言う。碁をよく知らない人には意味がわからないだろう。
この君と心得て言ふを、「何ぞ、何ぞ」と源中将は添いつきて言へど、言わねば、かの君に「いみじう、なほこれのたまへ」とうらみられて、よき仲なれば聞かせてけり。
宰相の中将斉信とは、互いに分かって会話しているが、源中将は、「いったい何のことだ、何のことだ」とつきまとってきて尋ねるが、言わないでいると、「ちゃんと教えてあげなさい。」と言われた。お二人は仲良しなので、聞かせてしまった。
あへなく近くなりぬるをば、「おしこぼちのほどぞ」など言ふ。われも知りにけりと。いつしか知られむとて、「碁盤はべりや。まろと碁打たむとなむ思ふ。『手』はいかが『ゆるし』たまはむとする。頭中将と『ひとし碁』なり。なおぼしわきそ」と言ふに、
「さのみあらば、『定め』なくや」言らへしを、
あっけなく親しくなってしまったのを、「石を崩すあたりまで行っている。」と言う。源中将は、自分も分かってしまったのだと、早く知られたいものだと、『碁盤はありますか。わたしと碁を打ちましょう。わたしにも手を許してください。わたしは頭中将と同等なのです。どうか、分け隔てをなさらないで』と言う。
「そんなことをしていたら、わたしは無節操なことになるのでは」と言うと、
日常会話の中で、囲碁の対局場面の様子を豊かに取り入れている。しかも、男女の仲の比喩としての意味をも持たせている。並の囲碁愛好者では叶わないことである。清少納言の囲碁の力量恐るべしというところである。紫式部と対戦させて鑑賞したいものだ。