囲碁にまつわる言葉(k) - 横浜市退職小学校長会

囲碁にまつわる言葉(k)

2022/8/29
囲碁同好会事業部のアイキャッチ画像

  「ダルマ大師」

中国禅宗の祖とされるインド人僧、ダルマ大師。ダルマ人形や座禅で日本人にもなじみが深い。

そのダルマ大師だが、囲碁についても、こんな話が伝えられている。日本の「今昔物語」の中の紹介である。

 

天竺の全ての場所へ赴き、あらゆる僧の行いを見て、世に伝えたとされるダルマ和尚。ある寺へ行ったときのこと、どの僧坊を訪れても、きれいに掃除が行き届き、仏像に花が手向けられ香が焚かれていた。その前で経典を読む熱心な修行僧の姿が見られた。

ところが、ある僧坊を訪れると、二人の80歳くらいの僧が、囲碁を打っていた。周囲は埃にまみれ、仏像や経典も見当たらない。同じ寺の僧に訪ねると、「あの二人は若いときから、何もしない。ただ、毎日碁を打っているだけです。おそらく仏法の存在さえ知らないのではないか。相手にしないほうがいいですよ。」と、教えてくれた。

 

何か訳があるに違いない。ダルマ和尚は、また、先ほどの坊を訪ねた。二人は相変わらず碁を打っていた。勝負がつくと、ひとりの僧が立ち上がった。もう一人は座ったままだった。しばらくすると、座ったままの僧の姿が、すっと消えた。しばらくすると、またすっと現れる。ふたりの僧は、碁を打っている間ずっと、消えたり現れたりを繰り返していた。

 

ダルマ和尚は、二人の老僧に尋ねた。「所業を見れば、悟りを開いたように見えるのに、どうして毎日碁ばかり打っているのですか。」

「わたしたちは、確かに碁ばかり打っています。黒が勝てば、我が煩悩が勝ち、白が勝てば、心の菩提が勝ったことになります。菩提の白が勝つことが増えるように願って打っています。そのことが無情を観じさせ、悟りを開くことが出来るようになりました。」

 

これを聞いたダルマ和尚は、「徳行を隠し、不用の者だと思われても貫いた。本当の貴人だ。」と感涙にむせび、寺の他の者にも知らせた。寺の者たちは、身近にいた聖人に気づかず遠ざけていたことを、恥じ、悔い改め、尊んだ。

 

この話は、「宇治拾遺物語」にも収録されている。

囲碁は、人間の魂を浄化させ、悟りの境地に導くありがたいものと捉えられていたのですね。今からでも遅くない。囲碁を始めましょう。

 

 

「トピック一覧」を見る

 

 

 

 

 

 

 

戻る