春うらら、我孫子は白樺派と湖畔の町でした。 - 横浜市退職小学校長会

春うらら、我孫子は白樺派と湖畔の町でした。

2022/3/22

コロナ禍にめげず,地震の恐れにも負けず、我孫子駅に10人が10:20に集まりました。

T様からの資料5つ、駅前案内所の資料4つ、二宮金次郎状態で斜め読みしながら「杉村楚人冠記念館」に到着

100本以上の赤椿とウグイスが迎えてくれる広さでした。さて、杉村楚人冠(そじんかん)とは誰でしょう。

A明治・大正にかけて「ジンキスカーン」12巻を書き上げた流行作家

B明治・大正にかけての国際派ジャーナリスト、俳人

重厚な暖炉のサロンやサンルームの大正ガラス、居心地よいデスク、括り付け本棚の書斎が魅力満点の邸宅でした。

次は嘉納治五郎別荘跡、柳宗悦邸跡と天神坂。我孫子が白樺派の町になったのは嘉納治五郎が最初だったそうです。

梅、木蓮、椎等の木々に囲まれた小径では、柳宗悦やバーナード・リーチ、志賀直哉、武者小路実篤等の下駄音や話し声が聞こえてきます。(実際は私達のしゃべり声と鳥の鳴き声だけですが)

さて、嘉納治五郎は、帰途の氷川丸船内で亡くなりました。なぜ洋行したのでしょう。

A体調不良を押して、東京オリンピック実現のため、欧州を周った。

B体調不良を押して、国際柔道連盟から独裁者を脱退させるため、欧州を周った。

3番目は白樺文学館と志賀直哉邸跡、ハケの道。文学館には、文芸雑誌「白樺」全巻が揃っています。(復刻版なので、見放題)

作家たちの生原稿や俳画、油絵、美術誌で見る有名な作家の焼き物もたくさん展示。ピアノの演奏会もほぼ毎日あるそうです。お洒落な文学館!でした。志賀直哉邸跡周辺は完全な「流行感冒」の世界、スペイン風邪に神経を尖らす「私」が女中の「石」を呼ぶ書斎、ひっそりと静まる女中部屋、沼向うに続くハケの道、まるで舞台のようでドキドキします。志賀直哉は、文章スケッチの神様のような人です。

さて、志賀直哉は何人の子持ちだったでしょう。

A「流行感冒」の冒頭にある夭折した娘を入れて8人

B「流行感冒」の冒頭にある夭折した娘を入れて5人

さて、志賀直哉が31歳で結婚した康は、誰の従妹でしょう。

A嘉納治五郎の従妹

B武者小路実篤の従妹

昼食はインドカレー店で。美味しくてボリュームもありました。精算は、一人ずつの方が時間がかかりません。湖畔の道沿いは「北の鎌倉」らしい邸宅が並びます。リーチや斉藤茂吉の石碑を見ながら手賀沼へ。水辺には人懐こい白鳥が休み、我孫子の鳥オオバンが群れて泳ぎ廻り、餌やり禁止です。我孫子は水の町でもありました。元気な方は徒歩で駅前へ、または日本にただ1つという鳥の博物館へ行かれました。陽光の中、8000歩の散歩! 楽しい印象的な我孫子でした。有名人の別荘はまだまだあるとのことです。案内して下さったT様、本当に有難うございました。🤷‍♂️🤷‍♀️😊😁

4月21日は読書会、「洲崎パラダイス」芝木好子作です。皆様、またお会いしましょう。お元気で。♠♣ 読書会広報部より♠♣

クイズの答ー杉村楚人冠はB。嘉納治五郎の洋行はA。志賀直哉のお子さんはA。奥様はBでした。

 

 

 

 

 

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