材木座海岸文学散歩の報告-「太平記」「袈裟と盛遠」ー
9月28日(木)残暑の厳しい中、10時半に13人が鎌倉駅東口に集まりました。逗子行きのバスで「九品寺前」下車。去年の府中文学散歩、分倍河原駅前で大太刀を振り上げ鎌倉攻めを目指した「新田義貞」の続きを求めて出かけました。
1333年の鎌倉幕府滅亡は凄惨な戦いの末でした。化粧坂切通、巨福呂坂切通、極楽坂切通の三方から攻め込むも多数の戦死者を出し、最も激戦の巨福呂坂、東勝寺合戦の中、14代執権北条高時は自刃と「太平記」は記しています。新田義貞は総大将として、極楽坂から稲村ケ崎を通り、材木座に本陣を構え、なお抵抗する鎌倉方を制圧したそうです。内裏山「九品寺」浄土宗は、新田義貞が1336年に建立した鎌倉唯一の寺院。義貞公の絶頂期だったかも知れません。戦上手だけの新田義貞は、その後、名門足利髙氏との勢力争いに負け続け1338年に38歳で越前で敗死しました。「九品」とは人の品格を表すそうで、「下品」の下でも念仏を毎日唱え続けて精進すれば極楽往生とのことです。極楽では品格の格付けなんて無く、平等になりますか?どなたか教えて下さい。
バス通りから海風の細い道を通り、南方山「補陀洛寺」真言宗に到着。黒の法衣をまとった住職様が迎えて下さいました。補陀落とは、サンスクリット語でho-tarasa、海のかなた、南無とは、仏様に帰依との意味。開基は源頼朝、開山は信頼厚かった文覚上人、1181年に頼朝公御祈願所として七堂伽藍配置の壮大な寺院が建立されたそうです。1000年近くの間に火災や竜巻に見舞われ、補陀落渡海の記録は消失。今は本堂の中に本尊十一面観音、薬師如来、日光、月光菩薩、不動明王像、隣の部屋にはびんずる、羅漢、文覚像、弘法大師、源頼朝像、文覚書の「征夷大将軍二品幕下頼朝神儀」位牌等、運慶や行基作の伝承、如来から○○天までの序列や真言宗大覚寺派のこと、密教修行の厳しさ、「即身成仏」について等30分教えて頂きました。芥川龍之介の「袈裟と盛遠」で人妻の袈裟に恋した遠藤盛遠が誤って袈裟を殺害、19歳で出家し、文覚となったとしか知らなかった私たち、逗子文学散歩で六代御前の命を守った文覚上人としか知らなかった私たち!浄化されたような気持ちになります。災害に遭い続けても多くの由緒ある彫刻像たちは残ったのですね。力こぶを見せ腕組みする真っ黒の文覚上人のご利益でしょうか。不思議な雰囲気の「補陀洛寺」です。昼食はお寺前の「KAZEMATI」で優雅にクロワッサンサンドやピザとソフトドリンク、綺麗で優しいオーナーに癒されます。味も量も上品‼
午後は天照山「光明寺」浄土宗へ。1243年4代執権北条経時の開基で佐助が谷から移されたそうです。山門は壮大二階建て!廊下もずっと長く本陣はきらびやか、阿弥陀像が豪華です。お部屋から縁側に出て眺める庭園は小堀遠州作の蓮池。さすが関東大本山。おみくじを求めた方は「吉」。箱の中に「大吉」は入っているのでしょうか。ここでもゆっくり休んでお喋り、松尾芭蕉句碑や児童たちの慰霊碑のある千住院で散歩を終えました。
来月末は和歌山文学旅行2泊3日。楽しみが続きます。皆様、どうぞお元気で。 ◊♠♣♥♦◊♠♣♥♦ 読書会広報部 ◊♠♣♥♦◊♠♣♥♦