歩こう!!神奈川【歴史散歩】(見学会ブログNO5) - 横浜市退職小学校長会

歩こう!!神奈川【歴史散歩】(見学会ブログNO5)

2022/3/10

◆◆◆ 横浜にあった「旧東海道の三宿場」 とは ◆◆◆◆◆ 

 江戸時代の陸上交通路と言えば、旧東海道が思い浮かびます。日本橋を起点に西に伸び、京都に至る当時の大動脈は総距離にして約500㎞ (約125里) でした。その間、おおむね8㎞ (2里) 程度を目安に、品川~大津に至る五十三の宿場 (東海道五十三次)が置かれました。五十三次の内、ここ横浜市域には神奈川宿(神奈川区)保土ヶ谷宿(保土ヶ谷区)戸塚宿(戸塚区)と三宿場がありました。 ➜➜➜ 今回はその一つ【戸塚宿 その⑴】を訪ねます。 

➀ 【戸塚宿】は、いつ、どうして出来たのか? 日本橋から五番目の戸塚宿は、神奈川宿や保土ヶ谷宿に遅れる事、3年、1604(慶長9)年に成立しました。その理由は、保土ヶ谷~藤沢間の距離《四里九町》が長かった事、旅人にとって起伏が多い難所 (権太坂など) があった事でした。また、日本橋から戸塚宿は41,2㎞(10里18町)で健脚の旅人なら一日で歩くことの出来た距離だったから、ここ戸塚に宿場が設けられたと思われます。

➁【戸塚宿】は、どこから、どこまでだったのか? まず、宿場の範囲は「江戸方見付」(戸塚イオン前)から「上方見附」(バス停・大坂下前)までとなります。『見付とは、宿場の出入り口であり、必ず江戸方上方の二ヶ所が設けられていました。街道の両側に盛土して松などを植え、遠くからでも宿場の近いことがよく分かりました。参勤交代の時に、大名行列を迎え出るため本陣の主人たちが見付まで出迎えたそうです。

➂【戸塚宿】にあった、一里塚はどの辺りか? イオン戸塚から徒歩5分程に、バス停「元町」があります。その近く街道沿いにあったのが、『吉田一里塚』です。残念ながら道路拡張のため今は簡単な「標識だけ」が一里塚の跡を知らせています。今でも東戸塚の旧東海道沿い『品濃一里塚』 は、両側に盛土の一部を残し昔の面影が伺われます。

➃ 【戸塚宿】と言えば、柏尾川にかかる大橋です。写真はJR戸塚駅地下コンコースにある初代広重の『保永堂版、東海道五拾三次之内 戸塚元町別道』です。今も大橋の手前柏尾川沿いに分れ道がありますが、かつて東海道から鎌倉にぬける鎌倉道でした。浮世絵には橋の左手前に『茶店 こめや』と『左り かまくら道』の道標があります。浮世絵には 『変わり図』 があります。それは、下馬する旅人 ➜ 乗馬する旅人 に変っています。理由は、好評だった保永堂版は何度も増刷され、版が磨滅して新しく版を起こしたのが『変わり図』と言われるものです。 皆さんも「チョとだけ違う浮世絵を見つけてみませんか」  

道しるべ:➃「大橋」は戸塚駅より東海道・横浜方面へ、徒歩10分 ➂「吉田一里塚」は「大橋」近く ➁「江戸方見付」は「大橋」より徒歩5分 ➜➜➜ 次号「ブログNO.6 に続く」  

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