歩こう!!神奈川 【横浜山手散歩】(見学会ブログNO 10 ) - 横浜市退職小学校長会

歩こう!!神奈川 【横浜山手散歩】(見学会ブログNO 10 ) 

2024/10/25


 

 

 
『 横浜 山手の散歩道 連載 10 』 

【横浜の洋館群】・・山手本通り《写真;上》には洋館が多くあります。今回ご案内するのは、ブログ9号〈10月10日配信〉で紹介した「山手聖公会」にほど近い【山手234館・エリスマン邸・ベーリック・ホール】の3館です。横浜山手は幕末期には外国人居留地として定められました。明治初期にほぼ現在の区画が整備され外国人の居住が始まりました。当時つくられた石積み擁壁(ブラフ積み)や舟形側溝、そして区割りなどが現在に伝えられています。関東大震災や太平洋戦争の被害によって、居留地時代の洋館はほとんど残っていませんが震災復興後(大正末期から昭和初期)のもの70棟余りが現存しています。長崎、神戸、函館の洋館に比べ、横浜の洋館は軽快で合理的な造りが特徴です。

【山手234館《写真;上から2番目》】1927(昭和2)年頃、外国人向けに建てられた共同住宅が234館です。この館は震災の復興事業の一つとして横浜を離れた外国人に戻ってもらうため建設されました。当時、4つの形式の住居が中央部分の玄関ポーチを挟んで対称的に向かい合い、上下に重なる構造でした。3LDKの間取りは合理的かつコンパクトにまとまっていました。また、洋風住宅の特徴である上げ下げ窓、鎧戸、煙突なども簡素に造られ、震災後の洋風住宅の典型と言われています。

【エリスマン邸《写真;上から3番目》】1925(大正14)年から翌年にかけて、山手127番に建てられた洋館です。スイス生まれの生糸貿易商、エリスマン氏の邸宅でした。創建当時は木造2階建て、和館付きで建築面積は80坪余りでした。屋根はスレート葺、煙突、バルコニー、屋根窓、上げ下げ窓、鎧戸などで造られていました。1982(昭和57)年には、一度解体されましたが1990(平成2)年、元町公園内の現在地(山手81番)に再現されました。1階に暖炉のある応接室、居間兼食堂、庭を眺められるサンルームなどがあり、簡潔なデザインを再現しています。かつて、3つの寝室があった2階は写真や図面で山手の洋館に関する資料を展示しています。また、昔の厨房部分は喫茶室として、地下ホールは貸しスペースとして利用されています。

【ベーリック・ホール《写真;上から4番目》】1930(昭和5)年、イギリス人貿易商、ベーリック氏の邸宅として建てられました。第二次大戦まで住宅として使用され、1956(昭和31)年に遺族よりカトリック・マリア会に寄贈されました。その後、2000(平成12)年までセント・ジョセフ・インターナショナル・スクール寄宿舎として使用されました。現存する戦前の洋館の中で最大規模の建物です。設計者は建築家のモーガン氏で、山手聖公会や山手111番館、根岸競馬場など数多くの建物を残しています。建物の外観は、玄関の3連アーチや小窓、瓦屋根を持つ煙突など多彩な装飾が施されています。内部も、広いリビングルームやパームルーム、化粧梁組天井のダイニングルーム、白黒のタイル張り床など技法に拘った造りです。

●ご案内・・・・只今、山手西洋館では『西洋館ハロウィン2024』が開催されています〈期間の最終日は10月31日です。よろしかったらお出かけください。〉 

●元町中華街駅よりエスカレーターで昇り、徒歩およそ10分

※次回、ブログは11月10日頃、更新します。

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