歩こう!!神奈川 【横浜山手散歩】(見学会ブログNO 5 ) - 横浜市退職小学校長会

歩こう!!神奈川 【横浜山手散歩】(見学会ブログNO 5 ) 

2024/7/11

 

『 横浜 山手の散歩道 連載 5 』 

『明治、大正期のパブリックホール、ゲーテ座とは?』・・・明治、大正期の横浜本町通り(横浜居留地68番)に「ゲーテ座」が1870〈明治3〉年)に建てられました。創始者のオランダ人ヘフトに続き、フランス人建築家サルダの設計により、1885〈明治18〉年現在地に建てられたのが商業劇場パブリックホール・ゲーテ座です。その収容人数は350人だったそうです。『ゲーテ』という語源は「ゲッティ;英語でGaiety=陽気な」の意味で、ゲーテ座と呼ばれるようになったのは、明治41年以降のことです。演劇、音楽会、講演会など、多種多様な目的に使用されました。ここでは、シェークスピアの『ハムレット』など、西洋人による演劇に触れることのできる唯一の劇場として、近代演劇の発祥の地と言って良いでしょう。演劇界や文学界に残した足跡は大きく、小山内薫、北村透谷、坪内逍遥、大佛次郎など、後の日本文学界にも大きな影響を与えました。1923〈大正12〉年、関東大震災によって崩壊し、その後昭和50年代初頭まで、ゲーテ座の正確な位置、資料などは散失不明の状況が続きました。1980〈昭和55〉年、現在の地に「学校法人岩崎学園横浜洋裁学院(現、横浜fカレッジ)創立50周年記念事業の一貫として、服飾関係資料や収集品を展示する博物館として出発しました。

写真は【旧:ゲーテ座と現:ゲーテ座】   横浜市中区山手町254番地 「岩﨑博物館」

➊みなとみらい線「元町・中華街駅」元町口・改札口を出て、エスカレーターでアメリカ山公園経由、徒歩およそ5分

❷JR「桜木町駅」より、神奈川中央交通バス11系統〈桜木町駅~保土ヶ谷駅東口〉港の見える丘公園下車〈徒歩1分〉

※次回、ブログは7月25日頃、更新します

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