歩こう!!神奈川 【横浜歴史散歩】(見学会ブログNO3)

連載 『 港~横浜 歴史をたどる散歩道 ➂ 』
第2回見学会は、11月14日(火)に横浜歴史散歩を計画しています。そこで、見学会ブログ『港~横浜 歴史をたどる散歩道』と題して連載します。
【 横浜は消防救急発祥之地 】横浜都市発展記念館(中区日本大通り、横浜情報文化センター隣)駐車場の一角に『消防救急発祥之地』があります。現在は写真〈上〉のような煉瓦造りの遺構(小さな窓から地下を覗き込むと貯水槽が見えます)と解説看板が残っているだけです。実はこの地は、1994年まで中消防署日本大通り消防出張所があった所です。この『地下貯水槽』は1871(明治4)年~1972(昭和47)年まで実際に使われていました。建物の老朽化と共に新築・移転したため、貯水槽跡だけがここに残されました。貯水槽は現在も湧き水で満たされているそうで、当時は冷蔵庫代わりとしても用いられたそうです。
では、なぜ横浜に初めて消防救急隊ができたのでしょうか。それは、1859(安政6)年、開港後の横浜は翌年に外国人居留地ができ海外貿易が行われました。横浜に滞在する海外の貿易商人たちは商品を火災で失うことを大変恐れました。そこで、居留地の防災のため、欧米から最新の機械を取り寄せ小規模な消防組織を自主的に始めました。明治初期には現在のような公営の消防はなく、一番近い存在は開港と同時にできた「8組の民間消防隊」だったそうです。幕末の頃は、大きな火災もあった事から、消防隊は強化され、1864(元治元)年「居留地消防隊」と呼ばれる西洋式腕用ポンプ車を備えた日本初の組織ができました。〈写真下:本町通り、中消防署山下町消防出張所のシャッターに描かれた居留地消防隊の様子、住所;中区山下町72-1〉その後、1914(大正3)年に日本初のガソリンポンプ車、1933(昭和8)年には日本初の救急車が配置されるなど、消防救急は一層充実してきました。
次号 ブログNO.5 は 10月25日頃を予定しています。