歩こう!!神奈川 【横浜歴史散歩】(見学会ブログNO4)
連載 『 港~横浜 歴史をたどる散歩道 ➃ 』 第2回見学会は、11月14日(火)に横浜歴史散歩を計画しています。そこで、見学会ブログ『港~横浜 歴史をたどる散歩道』と題して連載します。
【日本大通りは防火施設】 JR関内駅を降りて、横浜スタジアムのある横浜公園から大桟橋に向かって真っすぐに延びる並木道。道幅の広いこの通りが「日本大通り」です。通り沿いは季節ごとに色を変える美しいイチョウの木と数多くの歴史的建造物が立ち並んでいます。今回は横浜市民に愛される日本大通りについての話です。日本大通りは、1866(慶応2)年に発生した大火事をきっかけに日本人町と外国人居留地を隔てる防火道路(写真は建設当初のもの)として作られました。道幅は大変広く、建設当初は36mの幅員、両側に3mの歩道、9mの植樹帯を備えた通りでした。関東大震災にの復興整備後、22mの幅員、歩道は樹木帯も含め7mに削られましたが、2002(平成14)年の再整備によって当初の幅員に近い幅員を取り戻すことができました。砕石塗装と陶管の下水道も備えた日本初の近代的な西洋式街路となります。当時の横浜港波止場から横浜公園へと延びる並木道は、外国からの来訪者を迎える象徴でもありました。「日本大通り」という名称は1875(明治8)年に命名され、1879年には通りの名をとって町名も「日本大通り」と名付けられました。横浜港の開港以降、西洋文化がいち早く上陸してきた横浜の発展の歴史を垣間見ることができます。2007(平成19)年には名勝地として国の登録記念物に登録されています。
【横浜のまちづくりの父~R.H.ブラントンとは】日本の急速な近代化を進める幕府は、新技術導入のため外国から招いた第一号がイギリス人ブラントンでした。あまり知られていないブラントンですが、実は日本大通りの設計は彼によるものです。ブラントンは灯台のスペシャリストとしてイギリスから来日しました。横浜をはじめ、北海道や三重県、鹿児島県など日本各地の港で灯台を設計したり、灯台技術者の育成にも力を入れたりしました。日本大通りの設計以外にも横浜公園の設計や吉田橋の架設などに携わり、日本各地に近代土木技術を伝え横浜の近代的な街づくりに大きく貢献しました。
次号 ブログNO.5 は 11月10日頃を予定しています。