歩こう!!神奈川 【横浜歴史散歩】(見学会ブログNO5)
連載 『 港~横浜 歴史をたどる散歩道 ➄ 』
第2回見学会は、11月14日(火)に横浜歴史散歩を計画しています。そこで、見学会ブログ『港~横浜 歴史をたどる散歩道』と題して連載します。
【かつての大桟橋】(写真上)です。「見たことがある風景だ」そんな声が聞こえてくるようです。実は、この大桟橋には拡張への変遷(史)があります。写真中(黒色の2本の突堤)は【1859(安政6)年 開港当時の西波止場】です。この波止場は図のように真っ直ぐな突堤で出来ていました。西波止場近くに「英国総領事館(現横浜開港資料館)」があることから『イギリス波止場』と言われました。また、写真中(茶色の2本の突堤)は【1864(元治元)年完成の東波止場】です。ここは近くにフランス人居住区があったことから『フランス波止場』と言われました。この西波止場は大正12年、関東大震災の瓦礫で新たに山下公園ができたためなくなりました。1867(慶応3)年には、黒色突堤の右部分を湾曲形に増復改修築して『象の鼻』が完成します。写真下は【港湾拡張期の港施設】です。1903(明治36)から1922(大正11)にかけて、象の鼻湾曲部分を海側に真っ直ぐ延長したのが【鉄桟橋(かつての大桟橋)】となります。かつての大桟橋の写真には、煉瓦倉庫と思われる所から湾曲に左手に伸びる象の鼻突堤とその内側に荷揚げする艀の姿が見えます。拡張期の写真から分かることは、四角の黒く見える部分が「上屋や倉庫群」、何本かの線は荷物を運ぶための「荷物運搬用の軌道」です。象の鼻地区には税関施設として上屋や倉庫や軌道(現在も象の鼻地区に軌道転車台が残っています)が数多く整備され、艀(はしけ)による荷揚げ作業が盛んになったことが分かります。1894(明治27)年から鉄桟橋は客船ターミナルとして拡張されました。昭和に入って、東京オリンピック開催に向けて「港の玄関口」として本格的にふ頭整備がされました。2002(平成14)年には「くじらのせなか」とも言われる現大桟橋が完成するに至りました。
※上記写真及び解説は、象の鼻地区にある「港の変遷資料」を参考にしました。
次号 ブログNO.6 は 11月25日頃を予定しています。