歩こう!!神奈川 【横浜歴史散歩】(見学会ブログNO9) - 横浜市退職小学校長会

歩こう!!神奈川 【横浜歴史散歩】(見学会ブログNO9) 

2024/1/10

 連載 『 港~横浜 歴史をたどる散歩道 連載 

象の鼻から欧米へ 人物篇ここに2枚の写真があります。ブログNO8に続いて今回は【象の鼻から欧米へ 人物篇】としました。上の写真は明治維新政府5名の要人です。明治4年11月12日(1871年12月23日)、まさに国の命運をかけ、欧米に出かけたのが《特命全権大使 岩倉具視》ら5名の人物でした。写真、左より全権副使(長州)《参議;木戸孝允 39歳》全権副使(佐賀)《外務少輔;山口尚芳 33歳》特命全権大使(公家)《右大臣;岩倉具視 47歳》全権副使(長州)《工部大輔;伊藤博文 31歳》全権副使(薩摩)《大蔵卿;大久保利通 42歳》同行者を含め100余名の使節団は、欧米を目指して「象の鼻(現在の横浜港)」から出発したのでした。この写真について調べてみました。使節団に随行した「久米邦武の奉使欧米日記」によると、「第二字(時)より使節米公使諸官員一同に写真をなす」と記されていることから、使節団一行が太平洋を渡りサンフランシスコに到着後、10日たった時の撮影と思われます。また、全権副使の顔ぶれを見ますと、維新政権の中心たる薩摩藩や長州藩の代表格が名を連ねていることと年齢が若いことに気付きます。

〈使節団の旅程によると、陰暦11月12日横浜港出発➜12月6日アメリカ西海岸サンフランシスコ到着➜12月22日大陸横断鉄道で東海岸を目指し➜翌1月21日首都ワシントンDC到着➜ホワイトハウスでグラント大統領に謁見〉とあります。

次に、下の写真は使節団に同行したシカゴ滞在中の女子留学生たちです。撮影は新暦1872年2月頃と思われます。左から、永井繁子(11歳)、上田悌子(16歳)、吉益亮子(15歳)、津田梅子(8歳)、山川捨松(12歳)です。津田梅子は現在の津田塾大学(女子英学塾を創立)、山川捨松は陸軍卿の大山巌を結婚して「鹿鳴館の貴婦人」と言われた人物です。

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