歩こう!!神奈川 【歴史散歩】 (見学会ブログNO6) - 横浜市退職小学校長会

歩こう!!神奈川 【歴史散歩】 (見学会ブログNO6)

2022/3/25

◆◆◆ 横浜にあった「旧東海道の三宿場」 とは ◆◆◆◆◆  江戸時代の陸上交通路と言えば、旧東海道が思い浮かびます。日本橋を起点に西に伸び、京都に至る当時の大動脈は総距離にして約500㎞ (約125里) でした。その間、おおむね8㎞ (2里) 程度を目安に、品川~大津に至る五十三の宿場 (東海道五十三次) が置かれました。五十三次の内、横浜市域には神奈川宿 (神奈川区) 保土ヶ谷宿 (保土ヶ谷区) 戸塚宿 (戸塚区) と三宿場がありました。 ➜➜➜ 今回は前回ブログに続き 【戸塚宿その⑵】 を訪ねます。(ブログNO5に続く)

【戸塚宿】の、中心はどの辺りか? 日本橋から戸塚宿は41.2km (10里18町) で健脚の旅人なら一日で歩くことができた距離だと言います。現在の「箱根駅伝」 大手町~戸塚中継所に至る区間ということでしょうか。さて、それでは戸塚宿の中心はどの辺りだったのでしょうか。戸塚駅西口側にある 戸塚バスセンター から 戸塚消防署前 を通過し 八坂神社までの 『戸塚町問屋場跡』が、戸塚宿の中心だったと思われます。戸塚宿には、本陣が2つ脇本陣は3つ旅籠は75軒と、東海道五十三次の中では10番目に大きな宿場でした。(県内では小田原宿が96軒でしたので、それに次ぐ軒数でした) 【内田本陣】 は、現在の戸塚郵便局前付近で、建坪は271坪(約894平方メートル) ※現地に《内田本陣の間取り図あり》 【澤邉本陣】 は、現在の戸塚消防署隣りで、建坪は211坪(約696平方メートル) ※現地に《明治天皇東下行在所、澤邉本陣の間取り図あり》 【戸塚宿脇本陣】 は、本陣の代理となった旅籠のことで、本陣に差し支えが生じた時などに利用されました。本陣とは異なり大名の宿泊がない時は、一般旅客の宿泊に供することができました。

【戸塚宿】の、名所はどこか? 街道沿いにある 「戸塚宿の名所」 と言えば、【八坂神社】 です。この神社は通称『お天王さま』 として親しまれている戸塚宿の鎮守です。毎年7月14日に行われる 《お札まき》 は、男性が女装してお札を巻くという珍しい光景が見られます。少し先に進むと 【冨塚八幡宮】 が右手に見えてきます。かつて、源頼義、義家父子がこの地に野営し、夢で応神天皇の神託を受けたとされる地です。神社裏手の急坂を上り詰めると 《前方後円墳》 があります。境内には松尾芭蕉の句碑もあります。実は、「戸塚」の地名はこの「冨塚」がその起こりとされています。さらに、先に進むと(NO5でも紹介した) 【上方見附】 (バス停・大坂下前) で、目印として小さな松が植えられています。・・・ 『見附とは、宿場の出入り口であり、必ず江戸方と上方の二ヶ所が設けられていました。街道の両側に盛土して松などを植え、遠くからも宿場の近いことがよく分かりました。参勤交代の時に、大名行列を迎え出るため本陣の主人たちが見附まで出迎えたそうです。』 ・・・ 以上、「旧東海道戸塚宿の歴史を歩く散策マップ」 を参照。

【戸塚宿】に、今も残る松並木はどこか 戸塚バスセンターから、神奈中バス「立場行き」または「藤沢行き」に乗車し、4つ目に「大坂台」 というバス停があります。少し先、右手には 「戸塚警察署」 があり、「大坂台」 を真っ直ぐ上り詰めると 「国道1号線」 に突き当ります。この辺りに来ると、国道の中央分離帯に「松並木の名残」が見受けられます。藤沢方面から横浜方面に向かって、左手に「富士山」 を望みつつ「大坂台」に差し掛かるとくだり坂となります。【東海道五十三次 戸塚の図】(大橋に設置された浮世絵、撮影日3月18日)を注視してください。今では建物が邪魔して全く想像できないのですが、眼下に「戸塚の宿」 が見えたと思われる地点が、大坂台辺りと推定されます。両側に松並木、正面には宿場の家並みが見られます。(お手数ですが、浮世絵を拡大してみてください。眼下に戸塚宿が見えると思います。)

  • ご案内 ➜➜➜ 次号「ブログNO.7 に続く」 次号は4月10日 保土ヶ谷宿を紹介します。

 

 

 

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