歩こう!!神奈川 【歴史散歩】 (見学会ブログNO19) 特集「重忠」

特集『畠山重忠ゆかりの地』 昨日(9月18日)、大河ドラマ《鎌倉殿の13人》では、鎌倉武士の鑑といわれた畠山重忠の最期が放送されました。そこで、今回は特集『畠山重忠ゆかりの地~旭区鶴ヶ峰』を紹介します。(画像は全て8月31日、現地で撮影したものです) 鎌倉武士として知・仁・勇を備えた武将~重忠は頼朝の死後、幕府内の権力争いに巻き込まれ、1205年6月、北条時政の陰謀(鎌倉に至急参上せよの命)により、菅谷の館(埼玉県武蔵嵐山)より手勢134騎にて出発し、鶴ヶ峰付近にさしかったところ北条勢の大軍に待ち伏せされ、死闘を繰り広げた末、弓の名手愛甲三郎季隆の放った矢に当たり、この地にて非業の死を遂げました(享年42)。
◆◆鶴ヶ峰歴史散策◆◆ 相鉄線・鶴ヶ峰駅を下車、旭区役所方面に向かって歩き(約5分)「鶴ヶ峰駅入口交差点」手前、左折し路地に入ると〈首塚〉があります。〈首塚~画像大〉とは、重忠の首が祭られた所といわれます。さらに路地を進むと間もなく〈鎧の渡し〉〈首洗い井戸〉があります。現在は標識だけしかありませんが、かつてここは鎌倉街道が帷子川を渡る所でした。昔は川幅も広く、この所を渡るとき武士が頭に鎧をのせて渡ったと伝えられています。また、ここには重忠の首を洗い清めたとされる井戸がありました。河川改修前は河原に直径1m程の穴があり水が湧いていたとされますが、流れが変わり標識だけが残されています。鶴ヶ峰駅入口交差点を渡った所に〈重忠公碑~さかさ矢竹〉があります。重忠公碑とは、没後750年を記念して昭和30年6月鶴ヶ峰と埼玉県深谷市畠山の有志により建立されました。〈さかさ矢竹~画像上段〉とは、重忠が矢に当たった際に「我が心正しければ、この矢に枝葉を生じ繁茂せよ」と言い、2本の矢を地面深くに突き立て、この矢が根付き増え茂り続けたといわれています。鶴ヶ峰駅入口交差点から鶴ヶ峰(五差路)交差点を経て、本町通リに入ると間もなく「薬王寺入口バス停」が見えてきます。バス停から右に路地を辿ると〈薬王寺~六つ塚〉があります。ここ〈薬王寺~画像中段〉は、重忠をはじめ一族郎党134騎を埋めたと伝えられる6つの塚があります。霊堂である薬王寺には重忠の霊が祭られていて、毎年6月22日の命日には慰霊祭が催されています。その他、薬王寺近くには〈駕籠塚〉があります。ここ〈駕籠塚~画像下段〉は、重忠の妻~菊の前が合戦の連絡を受け、急ぎ駆けつけましたが、当地で重忠戦死を聞いて悲しみ自害しました。その所に駕籠ごと埋葬されたのが〈駕籠塚〉といわれています。
参考:横浜市旭区役所「畠山重忠ゆかりの地マップ」改訂版 及び 「周遊マップ」改訂版 (共にインターネットを検索の上、ダウンロード可)
➜➜➜ 次号「ブログNO.20に続く」9月25日予定 連載「横浜三宿」です。