歩こう!!神奈川 【歴史散歩】 (見学会ブログNO25)
2022/12/10
連載『神奈川宿を歩く➉ 高札って何?』
始めに1枚の画像(上)をご覧ください。これは神奈川宿(JR東神奈川駅から約5分、神奈川地区センター前)の【復元された高札】です。掲げられた場所を高札場と言いました。高札場とは、幕府の法度や掟などを庶民に徹底させるために設けられた施設のことです。宿場の施設として重要なものでしたが、明治に入って情報伝達の手段が整うにつれてやがて姿を消しました。かつて神奈川宿の高札場は、現在の神奈川警察署西側にありましたが、その規模は、間口約5m、高さ3・5m、奥行1・5mと大きなものでした。参考までに、イメージ図(下)もご覧ください。復元された神奈川宿の高札は、大小5枚の板札に墨書きで掲示されています。高札は、江戸時代に全盛期を迎えましたが、通常幕府による「公儀高札」、大名や旗本による「自分高札」があり、中でも、「忠孝札、火付禁止札、切支丹札、毒薬札、駄賃定」を五札(ごさつ)または、大高札と言い重要視されたそうです。
1868(明治元)年3月14日、明治政府が五箇条の御誓文を示した翌日、公布したのが【五榜の掲示】と言い、旧幕府の高札を踏襲する形で、「五輪道徳の順守(殺人・放火・窃盗などを禁じる)、徒党・強訴・逃散を禁じる、切支丹邪宗門を禁じる、開国和親を命じる(具体的には外国人への暴行を禁じる)、郷村脱走を禁じる」などを掲げ、旧幕府の民衆統制を継承したと言われています。1873(明治6)年2月24日、明治政府は太政官布告第68号により、切支丹禁制の高札を撤去しました。これにより、キリスト教に対して江戸時代初期以来続けられてきた、禁教政策にようやく終止符が打たれました。
次号「ブログNO.26に続く」12月25日頃予定 です。