歩こう!!神奈川 歴史散歩 2023年見学会ブログNO8

連載 『鎌倉名越街道を歩く~今年のブログは鎌倉(南東)方面です~』
今年の見学会(1回目)は、9月19日(火)に鎌倉を予定しています。毎月2回(10日と25日更新)のブログ内容は『鎌倉名越街道を歩く』としました。今回は、予定コースの寺【時宗・別願寺】を紹介します。
【時宗/別願寺とは?】鎌倉33所観音霊場第13番札所のひそやかな寺、それが時宗・別願寺です。別願寺はバス道路〈名越街道〉沿い、前回紹介した「安養院」の鎌倉駅寄り手前に位置します。寺の起こりは弘安5(1282)年、公忍上人(後の覚阿)が真言宗・能成寺を時宗に帰依し「別願寺」としたところから始まります。鎌倉における時宗の中心となったこの寺は、室町時代には足利一族が深く信仰し、鎌倉公方代々の菩提寺として栄えました。天正19(1591)年には、徳川家康からも寺領を寄進され寺勢を誇りましたが、江戸時代から次第に衰微しました。
【別願寺にある供養塔とは?】境内に入って目を見張るのは「足利持氏の供養塔(高さは3mあまり)」です(写真)。大きな石造りの宝塔は当時の栄華を物語るようです。塔の四方に扉のある鳥居が浮き彫りにされた珍しい造りで鎌倉時代後期の作と言われています。改築された本堂(写真)には、阿弥陀三尊像と珍しい魚籃観音像が安置されています。5月には、境内にある見事な藤の花(写真)が咲き誇る時期ともなると、街道から一歩足を踏み入れる観光客も多く見受けられます。
【鎌倉公方・足利氏とは?】初代将軍の足利尊氏が京都に室町幕府を開いたことで、鎌倉は武家政権の中心地としての役割を終えました。しかし、関東には依然として有力な武士団が多数残っていて、遠く離れた京都から統率するには困難でした。そこで、関東支配を強化する目的で足利尊氏が設置した出先機関、それが「鎌倉府」でした。その鎌倉府・初代鎌倉公方には、足利尊氏の四男で足利持氏の曽祖父足利基氏が就き、代々足利基氏の子孫が世襲しました。また、鎌倉公方を補佐する役職として「関東管領」を置き、こちらは足利尊氏の母方の親族である上杉氏が代々世襲し、鎌倉公方と室町幕府との調整役を担いました。応永5(1398)年に生まれた足利持氏は、父・足利満兼の死去に伴って、応永16(1409)年に、わずか11歳で第4代鎌倉公方に就任しました。
連載『鎌倉名越街道を歩く』次号NO9は、6月10日頃を予定しています。