歩こう!! 神奈川 【横浜山手散歩】(見学会ブログNO 15) - 横浜市退職小学校長会

歩こう!! 神奈川 【横浜山手散歩】(見学会ブログNO 15)

2025/1/11

『 横浜 山手の散歩道 連載 15  

【テニス発祥の地をめぐる】

横浜山手本通りを進むと有名なフェリス女学院(前14号で紹介)があります。学院の前「カトリック山手教会」脇の道を少し進んだところが、【日本のテニス発祥の地〈写真上〉】です。テニスのことは分からないので調べてみました。明治初期:1874(明治7)年、イギリスで考案されたテニスが日本に伝わったのは1878(明治11)年、横浜外国人居留地にテニスクラブが生まれました。テニスボールは布製でカバーされたゴムボールだったそうです。明治中期:この頃、学生を中心にプレーヤーが増え、手に入れやすいゴムボールで独特のルールが考えられたそうです。明治後期:「庭球」と訳され学生対抗試合が明治33年から行われ、現 筑波大や一橋大、早稲田大、慶応大などが参加したそうです。試合方法はコート1面を使った勝ち抜き団体戦で、国産ゴムボール球が使われたそうです。一方、公使館や華族会館などでは硬球を使ってのプレーを楽しんだそうです。《以上、写真が語る日本テニス史を参考》

今でもテニスコートが広がる「山手公園」内には、「横浜山手テニス発祥記念館〈写真中、記念館内部〉」や「旧山手68番館〈写真下〉」などがあります。記念館の中に入ると日本のテニスの歴史が一目で分かるようになっています。68番館が建てられたのは1933(昭和8)年、外国人向けの賃家でした。現在、山手公園管理センターとしてテニスコートの受付事務所・休憩所・シャワー更衣室などとして使われています。

ご案内

※「日本のテニス発祥の地 写真モニュメント」は、テニスコート整地用のローラー〈本物〉を加工したものです。拡大して見ると左右に車軸の一部があります。

※「横浜山手テニス発祥記念館」:中区山手230 山手公園内 045-681-8646 第3月曜日休館  祝日の場合は翌日 端午の節句装飾 5月2日~6日

 

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