歩こう!! 神奈川 歴史散歩 (見学会ブログNO15) 神奈川宿を歩く➀ - 横浜市退職小学校長会

歩こう!! 神奈川 歴史散歩 (見学会ブログNO15) 神奈川宿を歩く➀

2022/7/25

 

江戸時代の東海道、横浜にあった三宿のひとつ【神奈川宿(絵図)】を歩きました。既に、ご案内していますが、退職校長会「見学会」では、11月3日(祝・木) 神奈川宿を江戸に向かって「上り・東海道」の一部を歩きます。これからのブログ連載は、神奈川宿の名所・旧跡・関連の人物などを紹介して参ります。ご感想・ご意見や11月3日「見学会」に参加希望の方は、以下のメールアドレスまで連絡ください。

◆◆◆【神奈川宿概観:神奈川宿は近世後期、東海道有数の宿場だった】◆◆◆

Q➀;神奈川宿の範囲はどれくらい?

A➀;およそ2.5㎞、45分位〈駅名で言うと、横浜駅から京急神奈川新町駅〉の範囲でした。

Q➁;神奈川宿の規模はどれくらい?

A➀;本陣(大名や公家が宿泊した)は2つ、脇本陣は無く、旅籠(58軒)、人口は5700人余り(県内9宿中第一位)、家数は1300軒程(県内9宿中第2位)と推定されます。《以上「東海道宿村大概帳」より》その他、神奈川宿には将軍のみが宿泊する「神奈川御殿」がありました。ただ、利用したのは二代将軍秀忠と三代将軍家光のみで、17世紀末頃には既に建物は無く跡地だけだったそうです。《以上「東海道と神奈川宿」より》この資料絵図から推定すると、御殿があったのは「神奈川スケートリンク前、東海道線ガード下から東神奈川駅方面付近」と思われます。

Q➂;神奈川宿の起点(西側・保土ヶ谷宿側)はどこ?

A➂;保土ヶ谷宿側起点は、『上台橋』(横浜駅より横浜市民防災センター方向へ徒歩8分、鶴屋町交差点を通過、正面の橋)です。かつてこの辺りは、潮騒の聞こえる海辺の道でした。この場所から見えた朝日はひときわ美しかったことでしょう。

Q➃;では、神奈川宿の終点(東側・江戸側)はどこ?

A➃;京急神奈川新町駅近くの「神奈川通東公園」です。1965年までここに『長延寺』が建っていました。この寺は開港当時、オランダ領事館に充てられていました。ここには、土塁が築かれていたことが絵図から分かります。街道両側に土盛りがされ、高さ約2.5m、その上に竹矢来(たけやらい、絵図では×印に見える)が設けられていました。《以上、神奈川宿歴史の道ガイドパネルより》

Q➄;神奈川宿の中心はどこ?

A➄;神奈川宿の中心と言えば『瀧之川(現在は滝の川と言い、三ツ沢小学校区から、横浜中央卸売市場近くを流れ東京湾に至ります)』(第一京浜、滝の橋、幸ヶ谷小学校近く)、この滝の橋を挟んで保土ヶ谷側に『青木本陣(鈴木家)』その反対側、江戸側に『神奈川本陣(石井家)』が置かれていました。

Q➅;神奈川宿を有名にしたことは何?

A➅;それは、幕末に『神奈川条約』が締結されたことでしょう。安政元(1854)年に、「神奈川条約」とも言われた日米和親条約が締結されたように、ここ神奈川宿こそが江戸に近いこと・良港である神奈川湊があったこと・東海道があったことから「神奈川こそ開港場」とアメリカは考えていました。ですから、その後「横浜港を開港するのに度重なる交渉」を必要としました。また、神奈川の開港を目当てに、アメリカ領事館が『曹洞宗・青木山・本覚寺(横浜駅より徒歩5分、京急神奈川駅前)』に、イギリス領事館が『日蓮宗・妙湖山・浄瀧寺(京急神奈川駅より徒歩6分・滝の川沿い)』に、フランス領事館が『浄土宗・吉祥山・慶運寺(浦島伝説由来の寺・JR東神奈川駅より徒歩7分・滝の川沿い)に、アメリカ人宣教師館が『浄土宗・正覚山・成仏寺(JR東神奈川駅より徒歩5分)』に、オランダ領事館が『長延寺跡』に、他、外国領事私邸や施療所なども街道沿いの寺を借りて住居としたそうです。詳細は、これからの【連載 神奈川宿】で皆様にご紹介いたします。

 

※本会ホームページをご覧の方で、見学会希望される方へ ・・・・次のメールアドレスに連絡ください。

メールは tsk-tour@yokohama-tsk.jp  です。 追加の参加希望、大歓迎です。

次号「ブログNO.16に続く」8月10日予定 連載「神奈川宿」その2へ続く

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