2月読書会報告ー有吉佐和子作「江口の里」遊女の里と司祭館の二重写し

月例会より1週間早い2月16日、10人で「江口の里」を話し合いました。カトリック教会特有の用語や謡曲の古語が散りばめられた短編。1958年発表の時、作者はまだ20代でした。何という調査力! 深い教養!社会風刺や人間味あふれる作品に魅せられました。
始めは題名や言葉の意味に戸惑う意見が多数。昭和の東京下町にあるカトリック教会に集まる人たちの話が淀川港の伝説とどうつながるの?、「牧する」「公教要理」などが観阿弥の能の「本歌取り」?等々・・来日1年半のグノー神父は、日本の信徒たちの熱烈過ぎる信仰に追われ、食事もできません。嘆きながら信者の要求に従い、お疲れ様です。味噌とたくあんの臭い消しにホワイトホースをぐい吞みし、すぐに隠すところなど笑えます。この神父が変わったのは、美しい和服姿の婦人に魅了された後からでした。「神父も男性視線?超絶美人だから立ち尽くしたの。」「いや、所作や優雅さがラストの普賢菩薩につながるので女らしさにではないよ。」「神父は牧する…人々の心を養い導く司祭に変わった。」「労働者同士がいがみ合うのを咎めたり、女性が女性を差別する事を許さなかったり、強くなった。」「柳橋の芸者はパトロンに依存する。遊女と立場は一緒」「小ふみは、本名の坂井さと子になって公教要理を素直に学んでいる。最も信者らしく天主に近い。」「芸者は信者に入れないと抗議する信者たちは俗っぽい。」「俗界の中で人を愛した西行はグノー神父、神父を招待して舞う小ふみは江口の君に重なる。」「ご縁があるような気がするんですという小ふみの言葉は大切。司祭と司教は天主の啓示、神の恩恵と感じている。」「カトリックはもっと人間的であるべきという作者の願いを感じる。」「江口の君は普賢菩薩になり、法華経は人間みな平等と唱える。菩薩は如来と違ってまだ修行中の姿。つまり遊女も芸者も仏で・・・現代と古典を二重写しに構成したみごとな短編・・・」
等々読みが深まっていきました。能に詳しい会員の方からの解説もあり、思いがけない差し入れもあり、充実した1時間半でした。終わりに次年度の予定表と3月23日(木)府中文学散歩「郷土の森博物館見学」の説明がありました。3月の散歩、皆様どうぞご参加ください。集合地は2か所です。
集合地1 横浜駅中央コンコース「ドトール」前 8時50分(東急東横線9:05発乗車) 2は分倍河原京王バス停に10時10分です。(郷土の森総合体育館行10:19乗車) 遅れた方は自力で合流してください。
◊♠♣♥♦◊♠♣♥♦ 読書会広報部 ◊♠♣♥♦◊♠♣♥♦
早春賦