4月読書会報告ー森 茉莉作「贅沢貧乏」失われた時を求めて

朝から青空の4月27日、読書会「贅沢貧乏」が第1研修室で開かれました。報告致します。
冒頭からいきなり始まる「牟礼魔利(むれまりあ)」の美意識の氾濫に驚く人。贅沢と豪華さはその人だけの夢や幻、自分にもあると共感する人。内容から題名は「貧乏贅沢」だろうと突っ込む人。めくるめく異国の色彩に心動く人。幸田文のエッセイとの違いを感じる人。古い西欧文化への博識な憧憬が「物象」への執着だねと読む人。強烈な自意識の大波に疲れを感じた人。「読みにくさを感じるのは、日本人離れした価値観ではないか。日本人は六根清浄。五感と意識を研ぎ澄まし仏に近づくことに憧れる。作者は、自分だけの欲求(物や知識)に生きる誇りを持つ。」という言葉に共感が集まりました。では「「牟礼魔利(むれまりあ)」こと「森 茉莉」とは何者⁈ 幼い頃から、女中に囲まれ、人力車で通学、何もしないで13歳まで高名な父親の膝を独占、16歳で裕福な学者に嫁ぎ、欧州で優雅に過ごした「白い手の貴族のお嬢様」。戦争で屋敷を失い、疎開先でも働く技能は無くて2度離婚。父親の印税権を失った50歳で、ようやくペンをとり作家となった人とのこと。煤だらけの天井、ぼこついた番茶色の6畳一間の部屋に父親の全集等を飾る極彩色の小物類、空瓶、切花、硝子のミルク入れを飾り立てる人。進駐軍払い下げのベッドでボッテイチェリ風の布団に埋まって、プルーストを見なかったと2回も嘆いて、眠る人。・・この人何だか分からない・・。そこに「森 茉莉の意識の奥にある森鷗外への恋愛感情を感じない?」の一言。彼女が薄汚れたセーター姿で歩きながら歌うモーツアルトの歌は「綺麗な、恋をする、子供たち」。父親の衒学趣味をなぞる文体や、「ある男の娘への愛情は、あるときからは、その妻への愛情より深いかも知れない。」という表現に、なるほどねえ。無意識で湧き上がる感情が確かに見えます。・・ビフテキには食べるという「現実」と艶やかな色とバターの香り、血の滲む薔薇色の交響楽、豪華な宴会の「幻の深さ」・・という文もプルースト‼。作家は失われたときを象徴する父親を求めて「夢こそこの世の真正の現実。そうして宝石」と結びます。無条件で愛された世界は豪華絢爛でした。・・現実。それは「哀しみ」の異名である・・とも言い切り「失われたときを求めて」外へ出ます。谷内六郎の表紙の女の子、中身は十三四歳のなりで颯爽と。そして周囲が現実しか見ないことも承知して。ラストは貸本屋の女の子のつぶやき「あら、牟礼さんが通るよ。この前持って行ったクリステイは、今日で200円になっているわ。どうするのかしら。暢気な顔してもう行ってしまった。お婆さんの割に足が速いわね。」・・最後まで自分の目と周囲の評判の落差を鮮やかにユーモラスに切り取った短編でした。
癖のある作品ほど意見が止まらない読書会、報告仕切れない部分が出たのをお許しください。5月の散歩と年間の司会順番、旅行の説明もあり(現在15人希望)イタリアンレストランでランチ、1日中快晴でした。 ◊♠♣♥♦◊♠♣♥♦ 読書会広報部 ◊♠♣♥♦◊♠♣♥♦