11月湯河原文学散歩の報告-藤木川沿いの魅力 - 横浜市退職小学校長会

11月湯河原文学散歩の報告-藤木川沿いの魅力

2024/12/6

駆け抜ける月日に追い付けず、初冬の枯葉舞う頃となりました。大変遅くなり、申し訳ございません。11月28日の湯河原文学散歩の報告です。

青空の下、湯河原駅改札口10時に12人集合、民芸調に派手に飾られた駅に一瞬驚き、静かな駅前から奥湯河原行バスに乗車。20分ほどの終点まで、紅葉や川の流れを楽しみました。停留所より2分の文士の宿「加満田」は5000坪の敷地に部屋数13、全室源泉かけ流しの温泉付きです。1室でも6畳、8畳と2~3室ある純和風旅館です。旅館の方に大変丁寧に迎え入れて頂きました。階段と廊下がずんと広くて長く、庭の築山の先には藤木川の支流が流れ込みます。水音に癒されながら水上勉氏は、ここで「越前竹人形」「飢餓海峡」の執筆に励みました。その特別室「丹頂の間」は2階まで続く3部屋、小林秀雄氏は別館を借り、書斎代わりにしていたとのお話に「ほう」の溜息でした。廊下やお部屋に掛かる写真や色紙には、長谷川伸、林芙美子の名前もありました。名曲「おじいさんの時計」がゆっくりと刻む音が聞こえるような「加満田」でした。丹頂の間も別館も泊まれるとのこと、皆様いかがでしょうか。奥湯河原は文士、画家等に愛され、現代まで続く老舗の旅館が藤木川沿いに点在します。

奥湯河原から「公園入口」までバスを活用、藤村の宿「伊藤屋」に到着。創業明治21年の大老舗旅館です。こちらもご主人、女将さんが交代で案内して下さいました。玄関からホールに続く一角に島崎藤村の貴重な資料が置かれています。藤村専用の宿帳には半月間の逗留や四季それぞれの滞在が記されています。お気に入りの宿だったのです。藤村の部屋番号は1番。書院造りの欄間、飾り棚、ガラス障子等、和室の贅が尽くされた10畳、6畳、4,5畳と2階でした。「夜明け前」の修正ペンが多く入る原稿が、秋の岐阜文学旅行とつなげてくれました。旧華族、将校、日本画家等の宿泊も多く記録されていました。ここも長い階段、廊下の続くお屋敷で本館と別館2棟と広大、従業員不足とのことです。また、東京以外で唯一、2.26事件の舞台となった温泉宿でした。当日、内大臣牧野伯爵夫妻とお付き計7名が別館に宿泊、襲撃を受けたものの女物の着物をかぶり裏山へ避難したとのこと。文学と歴史の宿でもある伊藤屋旅館でした。玄関近くの植え込みの中の詩碑は若菜集「潮音(しおのね)」の詩文でした。 わきてながるるやほじほの そこにいざようふうの琴 しらべもふかしももかはの よろづのなみをよびあつめ ときみちくれば うららかに とほくきこゆるはるのしおのね が刻まれています。藤木川の川の音に七五調の調べが重なる一瞬です。多くの文学者たちは古からの温泉と山あいの藤木川とに魅了され湯河原を訪れたのでしょう。ゆったりとまたバスに揺られ駅に戻りました。予約のランチ「金目鯛煮つけ定食」を堪能して解散。今までで最も遠い文学散歩地、いかがでしたか。お二人はそのまま湯河原1泊とのことです。いいなあ。◊♠♣♥♦◊♠♣♥♦ 読書会広報部 ◊♠♣♥♦◊♠♣♥♦

 

 

 

 

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