2月読書会報告「山本孫三郎」長谷川伸作ー敵討から見えた日本人ー - 横浜市退職小学校長会

2月読書会報告「山本孫三郎」長谷川伸作ー敵討から見えた日本人ー

2024/2/23

朝から氷雨の降る関内は、襟巻やダウンコートの人々が足早でした。2月22日、青少年センター地下2階に12人が集まり読書会を開きました。今日で98冊目、久方ぶりの時代小説です。司会からの横浜出身の長谷川伸についての紹介と大衆文学だろうかとの問いかけがあり、活発な意見が続出。皆様自由な観点での感想ですから、纏まらないのはいつものこととご承知下さい。

冒頭から加賀金沢藩校での「孫三郎」の立場、家柄、禄高、年齢、家督相続、部屋住みの仕組み、上司との関連等が連綿と続きます。天保4年(1833)12月25日八つ半、兄夫婦、老いた若党の涙目に見送られ、山本孫三郎は金貸し雲田忠太夫宅に向かいます。一昨日の約束を履行するために。借用の銀700匁を返し、新たに銀1貫500匁を借用するために。金貸し忠太夫に3日間振り回された「孫三郎」は忠太夫の話「貧乏侍の騙し取りのテ、あの貧乏侍は人非人」を聞いて抜刀、即死させます。相手も武士(たとえ金で株を買ったとしても)、孫三郎には兄の辱めをそそぐがあり、一切弁明しないのが武士の精神と肯定する意見、元禄時代の忠臣蔵の美談とは違うという意見、討たれた忠太夫の長男近藤忠之丞が2人の助太刀によって孫三郎に敵討をした行為義か?の意見が続きました。後半の敵討ちの場面が残忍過ぎる。いやここが一番リアルで他は歴史書のように淡々としている等々。また2件の敵討へのクルクル変わる世間の噂の無責任ぶりにも多くの共感が集まりました。なぜ、作者は「日本敵討異相」として敵討にこだわりライフワークにしたかまで。今も昔も噂話が楽しくて評価が気になる日本人。卑怯者は恥、第三者は日和見で、恩返しや人情を感じたい日本人です。現代でも論理以上に立派さと潔さを求めています。封建制の枠内で武士同士の殺し合いは、互いの中で決着させ、上司は許すだけ。百姓町人のそれには厳罰があって当然の時代でした。敵持ちを常に意識しながら討たれる主人公を通して「時代」を見据えた作者は凄いという意見もありました。孫三郎の不屈の忍耐力には一分のゆるみもありませんでした。それでも時にはもらさなかったのでしょうか。「私の選んだ人生はやはり辛いな」と。(🙇私感)   人情の涙に汚すことなく日本人の姿を見つめた作品でした。藤沢周平の「橋物語」との違いです。

◊♠♣♥♦◊♠♣♥♦ 読書会広報部◊♠♣♥♦◊♠♣♥♦

 

 

 

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