4月読書会報告「霊柩車」瀬戸内寂聴作ー書くことで生きるー
長雨から一転、初夏の陽気の4月25日(木) 関内周辺は半袖や日傘の人々が行き交い賑やかでした。青少年センター地下2階で実施された読書会の報告です。12人の皆様が参集でした。
短篇(24頁)とはいえ、生々しい私小説、自伝とも言えるとの意見に多くの共感が集まりました。容赦ない自分や元夫、姉、父母を赤裸々に描く場面の感想も多彩でした。朝ドラの場面を連想した人からは夫や時代への反発、ただ夫の行為を描写しただけで作者の思いはないとの意見も。ようやく夫が離婚を認めた3度目の冬の描写の一部です。皆様はどう感じられますか。・・「何も・・衣服をおさえ、悪意でこらしめているわけではないんだよ。君を鍛えているんです。もうその必要もない。すぐ送ってあげます。」・・夫が決してそれを送って来ないのを私は知っていた。今までも、いつもそうだったのだ。・・極貧に追い込まれても夢を捨てず情熱を燃やす「私」を讃える意見が多く出ました。・・おやじのやつがぽっくり逝ってくれるよりお金の入るめどなど・・あのけち、・・と友人にいう娘と「あんな恥っかきの出来損ないは、この敷居をまたがしはせん」と公言する父親の関係に迫る人も多かったです。後半は「親子関係」と題名「霊柩車」が深まりました。当て字だらけの父親の手紙に隠された愛、親子の戸籍謄本の1行が人生を暗示。離婚でき、復籍した晩、父と交わす盃。友人と京都の銭湯に行き、父から軍資金をせびる計画を話す時と父親の最期が重なる構成の巧みさ等。まさに枕草子、近うて遠きもの 遠くて近うものの世界でした。一代で財を成した父親の本髄は指物職人気質。腕一本で造り上げた日本一の霊柩車。父の自慢話を作者は思い出します。恋の錯覚を重ね、子どもを捨て、離婚し、実の姉から親不孝を罵られ、貧困にあえぎ、悪評に晒されても自分の欲望に忠実であり、生き続けて書くことを覚悟します。父の遺した見事な「霊柩車」の中で。この短編は41歳の「私」の作家宣言とも言えるのではないかとのことでした。2021年11月に99歳で亡くなったときの新聞の見出しは大きく「 生きた 書いた 祈った」とありました。
晩年まで花が大好きな方だったそうです。 ◊♠♣♥♦ 読書会広報部 ◊♠♣♥♦