9月文学旅行のお知らせ(2)ー大垣 奥の細道結びの地 - 横浜市退職小学校長会

9月文学旅行のお知らせ(2)ー大垣 奥の細道結びの地

2024/10/4

奥の細道結びの地記念館・・月日は百代の過客にして行きかふ年もまた旅人なり・・芭蕉は弟子の曽良を連れ、江戸深川から東北、日本海沿いへ約5か月!2400㎞もの旅をします。出会いと別れを重ねて歩き、終わりの地が、水門川と住吉灯台のある豪商谷木囚の邸宅でした。曾良とは山中温泉で別れ、一人で辿り着いたそうです。ガイドボランテイアの方が大歓迎で迎えて案内して下さいました。3Dの鑑賞や川端まで下りての熱心な説明に「脱走」する人も4,5人以上。さすがに俳句名人たちは最後まで丁寧な説明に付き合い、最後の句 蛤のふたみにわかれ行く秋ぞと出立時の 行く春や との呼応を指摘して、ガイドさんを感心させたり、俳句作りをしたりでした。俳句ポスト、お土産コーナー、喫茶室も整備され、大きな窓からは山と川と灯台、赤とんぼも飛んでいます。ゆっくり休みました。帰りのバス内では芭蕉たちの旅行代や俳句づくりについてなど賑やかでした。

舟町を ゆうらり川藻 糸とんぼ  福郎作

 

南宮大社・・15時に到着。大きな山門には左右に唐獅子、舞殿と入母屋造りの拝殿も堂々と立派。静寂な空気の中、「祭神は、大山金命で天照大神の兄だって。」との声に皆びっくり。きっと金や銀が出て祭られ、金物、剣職人たちの厚い信仰を受けた神聖な神社なのでしょう。神社にはどこかミステリーな部分がありますね。15時半に夏草の匂いに包まれた関ヶ原に到着。

関ヶ原古戦場・・夏草に覆われた平地と名だたる武将たちの小高い丘には東軍西軍ののぼり旗が翻る古戦場、遠く7世紀から長良川と犀川の水運争いで繰り返し戦場となってきたところです。時代小説「巨いなる企て」には石田三成の智謀が全く通用しない野蛮な武将たちとの葛藤が出ます。百戦錬磨徳川家康の戦略も。10数万の兵が走り回った古戦場は意外と狭く敵味方入り乱れて怒号の飛ぶ激しい合戦でした。午後形勢が変わるとき、島左近は最期まで石田三成を稲葉城へ逃がそうとし、大谷刑部は友情に殉じ、島津義弘は敵中突破を実施、裏切りの裏切りもありました。それらは其々の本陣の位置をみると納得できます。全員、秋風とコスモスの古戦場で感慨しきりでした。岐阜駅近くのホテルに入り、再びバスに乗ってお夕飯へ。一日目終了です。

関ヶ原風景◊♠♣♥♦ 読書会広報部 ◊♠♣♥♦

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